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あの時代にタイムスリップ!? 古き良き日本の暮らしが愛媛県内子町にある理由

農村体験、自然が豊富、山間

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 松山市内から車で25分、愛媛県中南部・南予地域に位置する内子町が今回の旅の目的地です。

 内子町は松山に次ぐ愛媛県屈指の観光地。かつて、明治から昭和にかけては、木蝋(ハゼノキを原料とした蝋)やタバコの生産、流通で栄え、財を成した商人たちが多く暮らすにぎやかな町だったそうです。現在、多くの観光客を惹きつけているのは、その頃の面影を残す、美しい古い町並みです。

 そして、この古い町並みの保全と共に、周囲の山々や自然までも包括した「村並み保存運動」を進めてきた内子町。さらには、エコタウンとして環境保全型の暮らしや産業の推進も率先して行っており、グリーンツーリズム・着地型観光の先進地としてその名が知られる地域です。

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 内子町の中心部、古い町並みが残る八日市・護国地区にやってきました。

 この地区の中心的存在が、大正5年に建てられた「内子座」です。商家のだんな衆が建てた劇場で、木造2階建ての瓦葺の入母屋造り。回り舞台や花道、枡席などを備えた豪華な劇場です。落語や歌舞伎に興じた当時の人々の声が今にも聞こえてきそうな客席や回り舞台がそのまま残っています。

 実はこの舞台、過去の遺産ではなく「現役」。今でも、落語や演劇、音楽コンサートなどで利用されています。今も昔も、内子町のシンボル的存在です。

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 内子座の内部を案内してもらったあと、古い町並みが残る通りへ。

 黄漆喰や白漆喰で塗り込められた重厚な漆喰壁、当時の人々が競い合うように施したであろう豪華な装飾。宿場町とはまた違った「商人の町」ならではの重厚感に圧倒! 当時の技術や商人達の粋なセンス、息遣いを感じられるのが、内子町の町並みの特徴です。

「町並み保存」から「村並み保存運動」へ

こうした町並みが内外に評価されるようになったのは、実は、1970年代のこと。高度経済成長期、全国的な開発が進む中、歴史的建造物はその多くが失われていきました。地方は過疎化が進み、内子町も例外ではなく人口の減少や産業に衰退に悩まされていました。そうした時代を背景に、老朽化が進んでいた歴史的建造物の多くは、「内子座」も含め、消滅の危機に瀕していたのだといいます。

 しかし、1970年代、専門家からの評価を受け、歴史的建造物に関する調査が入ります。外部からの評価を受けたことをきっかけに、町としても町並み保存の方針を固めていきました。地域住民と古い町並みが残る長野県妻籠宿などの事例を視察、「地域の財産を活かして、地域経済の自立を促していくことの大切さ」が認知され、地域住民の間にも徐々に町並み保全への機運が高まっていったといいます。そして、一度は取り壊しが決まった「内子座」を始めとした歴史的建造物の本格的な保全の取組みが官民一体で進み、1982年(昭和57年)、内子町の古い町並みは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されることとなりました。

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「町並み保存」から「村並み保存」へとその舵を切ったのは、それから程なくしてからこと。

 内子町の面積の大半を占めるのは、実は山間部。市街地の町並み保存運動は軌道に乗り始めていましたが、山間部の人口減少、基幹産業である農業の衰退は深刻、かつての豊かな農村景観は、変化を余儀なくされていました。そうした中、市街地の町並み保全の経験を活かし、農村景観の保存、文化の継承を進めていくために掲げられたのが「村並み保存運動」でした。

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「村並み保存運動」から農家民泊の誕生、グリーン・ツーリズムの先進地へ

 「村並み保存運動」の一環として誕生したのが、山間部石畳地区の古民家を改修した農家民泊「石畳の宿」です。1994年にオープンしてから、地元のお母さん達が丹精込めて作る郷土料理や、昔ながらの古民家の佇まいが口コミで人気となり、特別な観光名所も無かった谷合の地にありながら、今では年間約1000人の人が利用する人気の宿になりました。

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 管理を行うお母さん方の人柄に惹かれ、リピーターも多いといいます。また、かつて石畳地区に流れる麓川では、農事用の30数基の水車がありました。その姿を再現した公園が「石畳清流園」。11月3日に開催される「水車まつり」には、町内外から多くの人が詰めかけます。

管理を行うお母さん方の人柄に惹かれ、リピーターも多いといいます。また、かつて石畳地区に流れる麓川では、農事用の30数基の水車がありました。その姿を再現した公園が「石畳清流園」。11月3日に開催される「水車まつり」には、町内外から多くの人が詰めかけます。

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 「ファームインRAUM古久里来(こくりこ)」がオープンしたのも、「石畳の宿」ができたちょうど1年後のこと。「石畳の宿」は町が建物を所有する公共の宿ですが、「古久里来」はオーナーの森長夫妻が運営する民間の宿です。市街地でも古民家を再生した宿が次々に生まれ、それぞれの個性が切磋琢磨し合いながら、内子町は着地型観光・グリーンツーリズムの先進地として、その名が知られるようになっていきました。

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 近年に入ってからも、山間部では新しい動きが進んでいます。2005年、お遍路宿を現代に再現した宿「川登筏の里交流センターいかだや」がオープン、石畳地区と同じく山間部の長田地区では、廃校となった小学校を活用した体験宿泊施設「お山の学校ながた」を2012年にオープンし、農村の暮らしを今に伝えています。

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 また、もともとモモやブドウなどの果樹栽培が盛んな内子町。上記でご紹介した宿では、果物狩りなどの農業体験を行っているところがたくさんあります。また、現在、人気の道の駅として観光情報雑誌の常連となっている「道の駅内子フレッシュパークからり」では、内子町産の農産物や、それらを使った加工品を買い求めることができます。

古き良き、日本の暮らしを感じる旅へ

 古き良き日本の暮らしが残る内子町。内子町の美しい町並みからは、かつてのそこに暮らした人々の活気を思い起こさせ、そこに連なる村並みには、風雪に耐え五穀豊穣を願った人々の息遣いが、そしてそれらを包み込むような山並みには、人々の暮らしを見守ってきた自然の大らかさを感じます。

 そんなかつての日本の暮らしと、豊かな自然を感じる内子町の旅。ぜひ、皆さまも出掛けてみてはいかがでしょうか。

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